境内案内

本堂
大正3年(1913年)建立
慈覚大師1050年御遠忌に際し、東京上野の寛永寺天台宗学問所(旧勧学寮)を
本堂とした。旧勧学寮は大正大学の前身で、江戸時代中期の記念すべき建物。

本堂

本堂

本堂

本堂

本堂

本堂入口

本堂内は、こちらから
太鼓橋

太鼓橋

慈覚大師堂
江戸時代 貞亭三年(1685年)日光山輪王寺門主天真親王の命により、壬生城主三浦壱岐守直次が建立。 その後文久2年慈覚大師一千年遠忌に、輪王寺門主慈性法親王により、大改修。

慈覚大師堂

大師堂天井

 内部の格天井の菊紋は文星芸術大学附属高等学校の生徒さんたちによって
修復されました。 詳細はこちら

大師堂天井

大師堂天井

新墓地

石碑

石碑

↓ 土屋文明の歌碑
現代短歌の高峰であり、文化勲章受賞者で慈覚大師円仁の熱心な研究家でもある土屋文明氏は、昭和46年(文明81歳)春に壬生寺に参りました。 そこで文明氏は「慈覚大師御開帳扉過ぎし壬生寺に灰冷えびえと大火鉢二つ」とうたいました。
歌石碑

産湯の井戸
大師誕生のおり、この井戸の水を汲んで浴場としました。この水を頂くと、子供は安産で、乳のたらない人はすぐに増えるといわれ、お水を懇望する人が絶えません。

地蔵堂(六地蔵)
江戸時代、元禄7年(1694)に壬生城主松平右京椋亮輝貞によって建立され松平氏信仰の六地蔵像を寄進。

鐘楼
平成元年(1989年)10月、慈覚大師御誕生1200年大師堂建立300年を記念して建立。

香炉

大銀杏
栃木県指定 天然記念物 樹齢役400年~500年 周囲5.1m、高さ約22m

山門

墓地